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History

4リングスを形成するブランド:ヴァンダラー

ケムニッツのヴァンダラー工業AGは、早い時期から多くの工業製品を生産していました。自転車の生産は1885年から、モーターサイクルの生産は1902年から、事務機の生産は1904年から、工場機械の生産は1898年から、そして4輪自動車の生産も1913年から手掛けていたのです。

ヴァンダラー

1932年にアウトウニオンAGが設立されたとき、チョッパウ自動車工業AGが母体となって、まずアウディ工業AGとホルヒ工業AGの株式を直接獲得しました。しかしながら、4つめのリングであるヴァンダラー工業の自動車部門については、売却及び貸与の契約を通じて譲渡される形がとられています。ヴァンダラー社のそれ以外の部門、すなわち自転車、小型自動2輪、事務機や工場機械を扱う部門は、それ以降も独立した企業として存在し続けました。

アウトウニオンAGのなかで、ヴァンダラーのカーブランドは、価格帯にして3,875~8,250マルクのミッドサイズセグメントを担当することになりました。このセグメントでは以前から熾烈な競争が展開されており、オペルやダイムラーベンツ、さらにBMWなどがライバルになっていました。

生産規模や売り上げにおいてヴァンダラーは、アウトウニオンのなかでDKWに次ぐ2番目の地位にありました。1937年にドイツで登録された合計216,538台の新型車のうち、25.3パーセントにあたる54,765台がアウトウニオン製であり、19.5パーセントにあたる42,143台がDKWブランド車でしたが、ヴァンダラーはそれに次ぐ4.7パーセントのシェア(10,177台)を達成していたのです。アウディとホルヒのマーケットシェアは、いずれも1パーセント以下でした。

アウトウニオン全体の製品プログラムのなかで、ヴァンダラーのモデルは次第に、下級のミッドサイズカーというイメージを持たれるようになっていました。しかしながら、1936年に、高性能なスーパーチャージャー付きエンジンを搭載し、当時のアウトウニオンの特徴でもあったモダンなボディスタイルをまとったサルーンのヴァンダラーW51とスポーツカーのヴァンダラーW25Kが発売されたことを機に、状況は一変します。それに続いて、アウトウニオンのほかのブランドからも、次々と斬新なスタイル/設計のモデルが導入されていきました。こうした戦略により、ヴァンダラー ブランドの位置づけが変更され、以降スポーティで先進的なブランドというイメージが確立していきました。

しかしながら、1939年に第2次世界大戦が勃発したことで、こうした開発作業も突然の終焉を迎えることになります。ヴァンダラーブランドのモデルが最後に生産されたのは1942年で、終戦後も、自動車の世界にヴァンダラーブランドを復活させる試みはなされておりません。

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