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History

草創期のモータースポーツ参戦

フォーリングスで象徴される4つのブランドにも、戦後パートナーとして選ばれたNSUにも、それぞれ誇るべきモータースポーツの伝統があります。そしてその歴史は、第1次世界大戦前まで遡ることができます。

フォーリングスで象徴される4つのブランドにも、戦後パートナーとして選ばれたNSUにも、それぞれ誇るべきモータースポーツの伝統があります。そしてその歴史は、第1次世界大戦前まで遡ることができます。

ここでも第一の立役者はアウグスト ホルヒです。自動車技術の先駆的エンジニアにしてホルヒとアウディの創業者でもある彼は、早い時期から会社運営とモータースポーツ活動との連携を図り、それにより、多くの顧客を、自ら作る自動車に惹きつけることに成功しました。

01 アウグスト ホルヒ自身がレースカーのステアリングを握った黎明期
ホルヒは、企業オーナーという立場にありながら、自らステアリングホイールを握って、積極的にレースに参加しました。彼は、レースで好成績を収めそうなクルマを選び、優良な顧客に譲り渡したりもしています。そのため、1906年のヘルコマーラリーでの勝利も、ホルヒの良さを認めた顧客らの慧眼に対する、有り難い報酬といえました。後塵を拝したクルマにベンツやメルセデスといった名門ブランドが含まれていたことを考えると、ホルヒが短期間のうちに名声を確立した理由も理解できます。

02 アウディのさらなるレースでの活躍
その後、当初ほどの華々しい活躍が続かなくなると、モータースポーツ活動は、ホルヒ経営陣のあいだで論争の火種になりました。結果アウグスト ホルヒは、自分が設立した会社を去ることになります。
しかしホルヒは、その後すぐ、1909年に創立した2番目の会社、アウディで、さらに大きな成功を収めたのです。ちょうどそのころ、フェルディナント ポルシェも、自らレースにも出場する自動車設計者として、名声を高めつつありました。アウグスト ホルヒと彼のチームは、当時もっとも過酷な耐久レースと考えられていたオーストリア アルペンランで、1912年から1914年まで3連覇を達成し、売り出して間もないアウディのクルマは、瞬く間に、広く名を知られるようになりました。

03 2年のうちにレースで無数の勝利を重ねたDKW
ドイツのザクセン地方に本拠を置く4つの自動車メーカーのうち、2ストロークのモーターサイクル(自動2輪車)を製造していたDKWも、1920年代モータースポーツに積極的に参戦し、目覚ましい戦績をあげています。当時のDKWバイクの宣伝では、2年間のあいだに1,000の勝利を収めたと謳っています。アウトウニオン設立時にDKWが主導的な役割を果たしたのも、そうした実績が背景にあったからなのかもしれません。

04 ヴァンダラーとNSU
1914年にはヴァンダラーも、有名な「プップヒェン」でオーストリア アルペンランに参加しています。1928年以降はヴァンダラーも、そうしたイベントでコンスタントに勝利を収めるようになりました。モータースポーツでの活躍を通じ、フェルディナント ポルシェとのつながりも生まれました。ポルシェは後に、アウトウニオンのためにグランプリ レーシングカーを開発することになります。一方NSUはその間、少し離れた南ドイツで評判を高めていました。モータースポーツへの参戦は、1901年のモーターサイクル生産開始以来継続しており、活躍もしてきました。それと比較すると4輪モデルでのレース実績は限られていますが、そのなかで、1926年にベルリンのアブスサーキットで開催された第1回ドイツグランプリに参戦した6気筒スーパーチャージドエンジン搭載の"NSU 6/60hp"のパフォーマンスは、長く語り草となっています。

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