2023/03/07Press Releases

革新と変革の150年:NSUとアウディのネッカーズルム工場

  • 歴史あるNSUブランドの起源は1873年に遡る
  • 節目となる2023年にイベントを開催、Audi Traditionは数多くのNSUの名車を提供
  • NSUの歴史に残る、クラシックでエキゾチックな車両を取り上げる全10回のシリーズを投稿

(ドイツ本国発表資料)

2023年2月27日、インゴルシュタット/ネッカーズルム:歴史あるNSUブランドが、その誕生日を祝います。1873年、クリスティアン シュミットとハインリッヒ ストールは、リートリンゲンに自動織機製造会社「Mechanische Werkstatte Schmidt & Stoll」を設立、これが後にNSU Motorenwerke AGへと成長し、今日のネッカーズルム工場へと進化していきました。NSUという社名は、ネッカー川とズルム川の合流する土地、ネッカーズルムに由来しています。NSUは、自転車からモーターサイクル、そして自動車へと至る、モビリティの発展を体現した会社です。その設立150周年を記念して、Audi Traditionは、保有する歴史的車両コレクションから、数多くのNSUの名車を提供します。Audi Traditionとドイツ自転車およびNSUミュージアム(Deutsches Zweirad- und NSU-Museum)が共同で開催する特別展「Innovation, audacity and transformation(革新、大胆さ、変革)」の準備も進めており、ネッカーズルムにあるAudi Forumとドイツ自転車およびNSUミュージアムにおいて、6月14日から開催されます。



ネッカーズルム工場とNSUブランドのコーポレートアーカイブの管理を担当する、Audi Traditionのトビアス フリーベルは、次のようにコメントしています。「NSUの長い歴史の中では、数多くの出来事が起こりました。それらは1回では紹介しきれないため、会社とその製品、レースへの参戦などに関するストーリーや背景情報を、今年1年間を通じて発信していきます」。これらの投稿は、Audi TraditionのInstagramとAudi MediaCenter(www. audi-mediacenter com)で見ることができます。Audi Traditionは、これらを10回のシリーズに分けて公開、2023年3月から12月にかけて、毎月1台のNSUモデルを紹介します。これらは、モーターサイクルも含めて、プロトタイプからエキゾチックなモデルに至るクラシックな製品群です。変革を重ね、多面的な歴史を備えたブランドの詳細を知りたい方は、クラウス アーツがAudi Traditionのために執筆した「NSU-Automobile. Typen - Technik - Modelle」(Delius Klasing社)、ペーター シュナイダー著「Die NSU-Story」(Motorbuch-Verlag社)により、さらに理解を深めることができます。

概要:伝統的なNSUブランドの歴史
1873年リートリンゲンにて、クリスティアン シュミットとハインリッヒ ストールにより、自動織機の製造会社として創業したNSUは、1880年にネッカーズルムへ移転し、1884年にはjoint stock company (注:株式会社の起源とされる企業形態)へと組織が変更されました。1886年、NSUは時代の流れを捉えた判断を行います。NSUは、その当時人気が高まっていた自転車の製造を始めて業績を伸ばしました。1900年には、モーターサイクルの生産も開始しました。N.S.U.(ネッカーズルムから取った文字)という新しいブランドは、世界中で急速に人気を博しました。1906年、水冷4気筒エンジンを搭載したスモールミッドレンジモデルOriginal Neckersulmer Motorwagenを発売。1909年には従業員数が1,000人に達し、450台の車両を製造しました。1914年、ネッカーズルムのエンジニアが製作したアルミニウムボディのNSU 8/24 PSは、軽量構造を追求したという面で自動車史に残る名車となりました。

第一次世界大戦が勃発し、ハイパーインフレによる通貨の切り下げが実施されましたが、NSUの財務状態は、健全なレベルを維持し続けました。1923年、4,070人の従業員は、2時間に1台の車両、20分に1台のモーターサイクル、5分に1台の自転車を製造していました。1924年、同社はより多くのスペースを確保するために、ハイルブロンにある自動車生産用の新しい工場に投資を行いました。しかし、2年後、創業以来、初めて売上が減少し、財務状態が悪化。1929年には自動車の生産を完全に停止し、建設したばかりの新しいハイルブロン工場を、フィアットへ売却することを余儀なくされました。フィアットは1966年まで、ハイルブロン工場で、NSU-フィアットブランドの自動車を製造しました。自動車工場の売却以降、NSUは二輪車の生産に注力し、1929年にはヴァンダラーの二輪車部門の大半を買収し、1932年にはベルリンのD-Radブランドと共同で販売会社を設立しました。1930年代のNSUは、BMWおよびDKWと並び、ドイツで最も重要なモーターサイクルブランドへと成長を遂げました。そして1936年末に、オペルの自転車部門を吸収したNSUは、ドイツ最大の二輪車メーカーとなりました。1933年から翌年にかけ、NSUはフェルディナント ポルシェがデザインした、空冷1.5リットルのボクサーエンジンを搭載するプロトタイプNSU/Porsche Type 32を3台製造しました。このクルマの基本コンセプトは、後に登場するフォルクスワーゲン ビートルとよく似ていました。しかし、財務上の理由により、それが市販モデルとして製造されることはありませんでした。そして、第二次世界大戦末期の1945年5月時点で、ネッカーズルム工場は廃墟と化してしまいました。

第二次世界大戦後、NSUは人気の高かった自転車と排気量98ccのNSU Quickという名称のモペットを生産して復興を遂げ、その後すぐに、125ccおよび250ccモデルも追加されました。さらに、排気量500ccのNSU Fox、NSU Lux、NSU Max、NSU Konsulが登場しました。モペット、モーターサイクル、スクーターを含めて年間約30万台近くを製造するようになったNSUは、1955年に国際的なモーターサイクル業界の頂点へとのぼり詰め、NSUは世界最大の二輪車工場を持つ会社となりました。1953年から1955年の間に開催されたモーターサイクル世界選手権で、NSUは5勝を上げ、数多くの最速記録を樹立して世界的な名声を得ましたが、経営陣は、50年代半ばに始まったモーターサイクル需要の減少に対応する必要がありました。社会が豊かになるにつれて、需要は自動車へと移行したため、NSUは再び車両の生産を始めました。

1958年.NSUはコンパクトモデルPrinzの生産を開始、自動車の世界に戻ってきました。その後すぐに、革新的な技術の開発に乗り出しました。1950年代初頭から、NSUはフェリクス ヴァンケルとともに、まったく新しいコンセプトのエンジン開発に取り組んでいました。そして1957年、NSUの研究棟において、ヴァンケルタイプと呼ばれる世界初のロータリーエンジンが完成しました。

1963年、IAA(フランクフルトモーターショー)で発表されたNSU Wankel Spiderは、自動車史に新たなページを書き加えました。このモデルは、497ccの排気量から50hpを発生するシングルローターのロータリーエンジンを搭載した世界初の市販モデルとなりました。さらに1967年のIAAで、ネッカーズルムに本拠を置くNSUは、NSU Ro 80を発表し、自動車業界を驚かせました。このモデルは、115hpを発生するデュアルローターのNSU/ヴァンケル ロータリーエンジンを搭載し、その斬新なデザインが大きな注目を集め、1967年NSU Ro 80はドイツ車として初めて、ヨーロッパ カー オブ ザ イヤーに選ばれました。

1969年3月10日、フォルクスワーゲン グループの傘下に入る企業として、NSU Motorenwerke AGとインゴルシュタットに本拠を置くAuto Union GmbHを合併する契約が調印されました。これにより、同年1月1日に遡って、Volkswagenwerk AGが過半数の株式を保有し、ネッカーズルムを本社とする、AUDI NSU AUTO UNION AGが誕生しました。この新しい会社のモデルラインアップは、技術的な面から見ても多種多様でした。ネッカーズルム工場では、NSU PrinzやNSU Ro 80に加え、Audi 100も生産されるようになりました。しかし、2つのNSUモデルは1970年代に段階的に廃止され、Prinzは1973年に15年の歴史に幕を閉じ、10年間製造が続けられてきたRo 80も1977年に終焉を迎えました。1985年1月1日、AUDI NSU AUTO UNION AGは、AUDI AGと名称を改め、本社をネッカーズルムから現在のインゴルシュタットへ移転。以来、会社とモデルはその名称であるアウディを使用しています。

企業と製品のあるべき姿を追求し続ける変革の姿勢こそ、NSUおよびアウディに共通するネッカーズルム工場の歴史です。この変革は、ここ数十年間、急速かつ継続的に行われてきました。大規模および小規模生産の両方で豊富な経験を有するネッカーズルム工場は、現在、ヨーロッパでもっとも高度に進化した工場の1つで、フォルクスワーゲン グループ内でも最高レベルの製品多様性を備えた工場となっています。ネッカーズルム工場はスマートファクトリーへと進化し、電動化の準備も進んでいます。また、高電圧バッテリーの専門知識の中心地にもなっています。ネッカーズルム工場は、フラッグシップモデルAudi A8、フラッグシップスポーツモデルAudi R8、そしてB、C、Dセグメントのモデルに加え、スポーティなRSモデルの開発および製造も行っています。Audi Sport GmbHの本拠地もネッカーズルムにあります。Audi Sport GmbHの歴史は、1983年に設立されたquattro GmbHに遡り、2023年には設立40周年を迎えます。2020年末以来、アウディで初めてのドイツ製電気自動車Audi e-tron GT quattroもここで生産されています。AUDI AGは現在、ネッカーズルム工場で約1万5,500人の従業員を雇用し、ハイルブロン-フランケン経済地域で最大規模の企業となっています。150年前、わずか10人の従業員から始まったこの会社の歴史、ダイナミズム、そして発展は、とても印象的です。

クリエイティブ、革新的、そして斬新なNSUの広告
NSUが広告に採用したスローガンの多くは、人々の記憶に残るものとなりました。NSUの広告部門の責任者であったアルトゥール ヴェストルップは、彼の著書「Fahre Prinz und du bist Konig. Geschichten aus der NSU-Geschichte」(Prinzに乗ればあなたは王様:NSUの歴史秘話)の中で、1950年代のNSUは広告費の予算が少なく、彼のチームは知恵を絞って創造力を発揮していたと語っています。前述のキャッチフレーズに加え、彼が率いるマーケティングチームは、ユニークなキャンペーンを次々と打ち出しました。

1971年には、大きなヒット広告が生まれました。「Ro 80. Vorsprung durch Technik.」というコピーが、NSU Ro 80のために制作されたポスターに大きくプリントされていました。現在でもアウディが採用するスローガンは、NSUの広告部門が考案したものです。「Vorsprung durch Technik(技術による先進)」は、世界の人々の心に刻み込まれることになります。

レースでの活躍:ネッカーズルムのNSUが達成した勝利と記録
NSUは、第2次世界大戦前後のモータースポーツで、すばらしい成績を収めました。例えば、500ccのNSUレーシングバイクに乗る英国人ライダーのトム ブッラスは、1930年のニュルブルクリンクで行われたドイツグランプリ(Grossen Preis von Deutschland fi.ir Motorrader)で優勝。彼のNSU 500 SSRは、記録的な速さで他の多くのレースも制し、モンツァの世界選手権では新記録を樹立して、最も成功を収めたドイツのレーシングバイクとして話題になりました。1931年から1937年にかけて、NSUはドイツ選手権で11勝、スイスの選手権で5勝を収めました。ファンからBullus(ブッラス)という愛称で呼ばれていたNSU 500 SSRは、パワーこそ制限されものの、市販バージョンも販売されました。

1950年代、NSUは再び数々の優勝を手にするようになります。1950年、スーパーチャージャーを搭載した500ccのレーシングバイクに乗ったハイナー フライシュマン、600ccのバイクを走らせていたヘルマン ベームとそのサイドカーに乗ったカール・フックスは、それぞれのクラスにおいてドイツチャンピオンになりました。1951年シーズン以降、モーターサイクルレースの世界でスーパーチャージャーは使えなくなりましたが、スーパーチャージャーを搭載したNSUのモーターサイクルは生き残りました。風洞実験で最適化されたフェアリングを備え、シャシーを延長したバイクを提供されたヴィルヘルム ヘルツは、1951年に290km/h、1956年には339km/hという二輪最速記録を樹立しました。外見がイルカやクジラに似ていたNSUのレーシングバイクは、「Rennfox Typ Delph」、「Rennmax Typ Blauwal」と呼ばれ、当時のモーターサイクルによるレーシングシーンを席巻しました。1954年のツーリストトロフィー(マン島TTレース)での優勝は、現在でも語り継がれる伝説となっています。マン島を走ったNSUファクトリーチームは、ヴェルナー ハース、H.P. ミュラー、ハンス バルティスバーガー、ルパート ホラースから構成されていました。ホラースは、世界で最も危険なオートバイレースとして知られる、このレースの125ccクラスで優勝しました。ハース、ホラース、アームストロング、ミュラーは、250ccまでの各クラスで、1位から4位までを独占しました。

NSUは、4輪レースの世界でも安定した成績を収めています。例えば、1926年、スーパーチャージャーを搭載したNSU 6/60 PSレースカー4台が、ベルリンのAVUSで開催されたドイツスポーツカーグランプリ(Grossen Preis von Deutsch land fi.ir Sportwagen)で上位を独占。1960年代から1970年代にかけては、NSU Prinz、NSU Wankel Spider、NSU TTなどがツーリングカーレースの世界で活躍し、世界各地のサーキットに集まった何百万人もの観衆を熱狂させました。中でも常に表彰台の頂点に立っていたのが、小さなマシンNSU Prinz TTです。このモデルは、ヨーロッパと北米で開催された選手権で合計29回の優勝を果たし、1974年にはウィリー ベルグマイスターがドイツのヒルクライムレースのチャンピオンとなりました。

NSUおよびアウディ ネッカーズルム工場のマイルストーン

1873クリスティアン シュミットとハインリッヒ ストールが、ドナウ川沿いのリートリンゲンで自動織機製造会社を設立。
1880本社をネッカーズルムに移転。
1886自転車の製造を開始。
1900モーターサイクルの製造を開始。
1906Original Neckersulmer Motorwagenを開発し、自動車の生産を開始。
1928単独企業による自動車生産を終了、ハイルブロン工場を売却。
1933フェルディナント ポルシェが、フォルクスワーゲン ビートルの前身NSU/Porsche Type 32の試作を依頼。
1945第二次世界大戦により工場が倒壊。1945年半ばから生産を徐々に再開。
1955NSU Werke AGが世界最大の二輪車メーカーとなる。
1958NSU Prinz II・II・IIIにより、自動車生産を再開。
1964ロータリーエンジンを搭載した世界初の市販モデル、NSU Wankel Spiderの生産を開始。
1967NSU Ro 80セダンの生産を開始。その未来的なデザインとロータリーエンジンが評価され、カー オブ ザ イヤーを受賞。
1969Auto Union GmbH Ingolstadtと合併、AUDI NSU AUTO UNION AGが誕生。筆頭株主はフォルクスワーゲンAG。
1974/75石油危機により、工場閉鎖の危機に直面。伝説の1975年4月の「ハイルブロンの行進」により、従業員の力で工場閉鎖を回避。
1975余剰生産力を活用のため、Porsche 924の受託生産を開始。その後、Porsche 944も追加。
1982ネッカーズルム工場で生産されたAudi 100が、Cd値(空気抵抗係数)0.30の世界新記録を達成。
1985フル亜鉛メッキボディ採用のAudi 100とAudi 200を導入。社名をAUDI AGに変更、本社をインゴルシュタットに移転。
1988AUDI AGはAudi V8の生産により、フルサイズクラスに参入。
1989ネッカーズルムで開発された直噴ターボディーゼルエンジンを乗用車に搭載。
1994オールアルミニウム製ボディ(ASF:アウディスペースフレーム)を採用した世界初の市販モデルAudi A8の生産を開始。
2000アルミニウム製ボディを採用した初の量販モデル、Audi A2の生産を開始。
2001ネッカーズルムで開発された、FSI直噴エンジン搭載のレーシングプロトタイプAudi R8が、ルマン24時間耐久レースで優勝。
2005Audi Forum Neckarsulmオープン。
2006Audi R8の生産開始。ネッカーズルムで開発されたTDI直噴ディーゼルエンジン搭載のレーシングプロトタイプAudi R10 TDIが、ディーゼルマシンとしてルマン24時間耐久レースで初優勝。
2007Audi A4 Sedanの生産開始とともに、インゴルシュタットおよびネッカーズルム工場間に、生産の柔軟性を高める、初めてのプロダクションターンテーブルを設置。
2008アウディ ツールメーキングショップ(工具生産工場)を開設。
2011ハイルブロンのベーリンガーホフ工業団地に、23万m2の土地を取得。(2014年と2018年にも追加取得)
2012繊維強化ポリマー テクニカルセンターとエンジンテストセンターを開設。
2013ネッカーズルム工場が、ヨーロッパベストプロダクションプラントとして、J.D. Power アワードを受賞。
2014ベーリンガーホフで、物流センターとAudi R8生産工場の稼働が開始。
2016新型Audi A8の生産棟が完成。
2017フューエルセル コンピテンスセンターを開設。
2018ベーリンガーホフにおいて、アルミニウム素材試験テクニカルセンターが稼働開始。
2019フューエルセル開発のためのMEAテクニカルセンター(機能レイヤーシステム)を設立。全拠点に適用される環境プログラム「Mission: Zero」を策定し、脱炭素化、水資源の持続可能な使用、資源効率、生物多様性に関する対策を実施。
2020電気自動車Audi e-tron GT quattroの生産を開始。
2021Automotive Initiative 2025(AI25):自動車の製造と物流面のデジタル変革に関する専門知識ネットワークを構築。高電圧バッテリー開発のためのコンピテンスセンターを設置。
2022既存工場の近代化を含め、eモビリティを念頭に置いた生産プロセスの最適化を実行。新しい塗装工場の起工式を実施。


※本リリースは、AUDI AG配信資料の翻訳版です。

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