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2019/08/29Company

アウディ、フェルディナンド ピエヒの死を悼む

  • Prof. Dr.フェルディナンド ピエヒは、アウディに20年以上在籍し、1988年から1992年までは取締役会会長を務める
  • アウディCEOブラム ショット:「彼は、発明の才能だけでなく、情熱と忍耐強さを併せ持っていました」
  • 総労使協議会議長ペーター モッシュ:「彼は、最先端の技術に、優れた経営手腕と社会的責任を結びつけました」

2019年8月27日、インゴルシュタット/ネッカーズルム:AUDI AG取締役会は、すべての従業員を代表して、故Prof. Dr.フェルディナンド ピエヒの家族に心からお悔やみを申し上げます。世界中のすべてのアウディの工場では、彼の死を悼んで半旗が掲げられています。Prof. Dr. ピエヒは、アウディに20年以上在籍し、1988年から1992年までは、約5年間にわたって取締役会会長を務めました。


AUDI AG取締役会会長ブラム ショット:「フェルディナンド ピエヒの最大の功績の一つは、アウディブランドのために献身的に尽くしたことです。アウディはラテン語で“聞く”という意味です。彼は常に、お客様と従業員の声に耳を傾けていました。彼は、自動車という夢に一生を捧げ、革新の原動力となりました。彼は、アウディをプレミアムブランドへと発展させ、革新的な技術で自動車業界をリードしました。これらの技術には、5気筒ガソリンエンジン、quattroフルタイム4輪駆動、プロコン-テン(procon-ten)安全システム、フル亜鉛メッキされたオールスチールボディ、軽量アルミニウム構造のアウディ スペースフレーム(ASF)が含まれます。ASFを搭載したAudi A8のスタディモデルは、1993年のフランクフルトモーターショー(IAA)で世界初公開されました。フェルディナンド ピエヒの記憶は、私たちの心に永遠に刻まれるでしょう。彼は、発明の才能だけでなく、情熱と忍耐強さを併せ持っていました」

総労使協議会議長ペーター モッシュ:「フェルディナンド ピエヒは自動車産業の偉大な指導者でした。企業家として、彼は、最先端の技術に、優れた経営手腕と社会的責任を結びつけました。彼は、グループが成功を収めるための共同決定の重要性を認識していました。アウディがプレミアムブレンドへと進化を遂げることができたのは、彼の功績によるものです」


※本リリースは、AUDI AG配信資料の翻訳版です。

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